ディープレビュー

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人生、ラッキーの総量は決まっているかもしれない——でも今日の小さな幸運は本物だった

今週のお題「最近のラッキー」

はじめに:「運」を信じる人、信じない人

「運なんて信じない」と言い切る人がいる。 「すべては努力と必然だ」と。

でも、そういう人でも、財布を落として気づいたとき、心の底でちょっとだけ「頼む、誰か拾っててくれ」って思うんじゃないだろうか。

そう。人間って、結局ラッキーが好きなんですよ。


今週のラッキー1:スーパーのレジで起きた奇跡

先日、近所のスーパーで買い物をしていた。

カゴの中には特売の豆腐、ちょっと奮発した国産豚バラ、あとなぜか衝動買いしたプリン3個。レジに並ぶこと数分、やっと自分の番が来た。

「全部で1,247円です」

財布を取り出す。1,000円札を一枚出し、100円玉を探す。……あれ。ない。50円玉が2枚あるから合わせて……あ、でも端数の47円が。

モタモタしていたら、レジの方が「247円ちょうどでございます」と言うではないか。

え。

よく見たら1,000円札を2枚出していた。記憶にないけど、無意識に2枚取り出していたらしい。つまり753円のおつりが返ってきた。

これは「得した」わけじゃない。自分の金だ。でも、あの「ちょうど出せた感」は、なんかすごく気持ちよかった。

レジの列でモタモタしなかった、それだけで今日はいい日だと思えた。


今週のラッキー2:傘を忘れた日に雨が降らなかった

これは本当にギリギリのラッキーだ。

朝、曇り空を見て「まあ大丈夫でしょ」と傘を置いて出かけた。天気予報は「午後から雨、降水確率60%」。

普通に考えたら絶対に濡れる確率のほうが高い。でも、その日は夕方17時ごろまでぽつりとも降らず、家に帰り着いた5分後にザーッと降り出した。

5分。

5分のマージンで、私は濡れずに済んだ。

これは運ではなく、もはや神に守られているとしか言いようがない(言い過ぎ)。

でも、あの「玄関の扉を閉めた瞬間に雨音が聞こえてきた」ときの爽快感。あれはちょっとした映画のワンシーンみたいで、思わず「ふっ」と笑ってしまった。


今週のラッキー3:人気ラーメン店に並ばずに入れた

これが今週いちばんのビッグラッキーだ。

職場の近くに、いつも昼時には10〜15人の行列ができる煮干し系の濃厚ラーメン店がある。「あそこ行きたいけど並ぶの無理」というやつ。休日に行っても30分待ちは当たり前で、ずっと諦めていた。

先日、ちょっと遅めのランチになってしまって、13時半ごろそのお店の前を通りかかったら——

誰もいなかった。

行列が、ない。

一瞬「閉まってる?」と思ったが、暖簾はかかっている。おそるおそる扉を開けると「いらっしゃいませ」と元気な声。

「あの……今すぐ入れますか?」 「はい、どうぞ」

席に着いてから、厨房の方と少し話した。その日はたまたまランチのピークが早く終わって、13時すぎから客足がぱったり止まったらしい。「こんな日は珍しいですよ」とのこと。

出てきた醤油ベースの濃厚煮干しラーメンは、もちろん最高だった。でも、あの「並ばずに入れた」という事実が、スープを余計においしくしていた気がする。


「ラッキー」を記録することの効能

ここまで3つのラッキーを書いてみたが、正直、書いていて気づいたことがある。

ラッキーって、記録しないと忘れる。

レジの件なんて、もう翌日には「そういえばそんなことあったっけ?」くらいの記憶になっていたと思う。でもこうして書き出すと、あのときの「ちょっとした気持ちよさ」がちゃんと蘇ってくる。

心理学でいう「ポジティブ日記」の効果というのはよく語られるけれど、ラッキーの記録もそれに近い働きをするんじゃないかと思う。

  • 嫌なことは脳に焼き付きやすい(ネガティビティ・バイアス)
  • いいことはすぐ「当然」になって記憶から消える
  • だから意識して記録しないと、日常はどんどんグレーに見えてくる

ラッキーを書き留めることは、日常の「彩度」を上げる行為なんじゃないか。


ラッキーの定義を広げると、世界は変わる

最初、この記事を書こうと思ったとき「最近ラッキーなことなんてあったかな」と思った。

宝くじが当たったわけでも、大きな幸運があったわけでもない。でも探してみると、小さなラッキーはちゃんとあった。

もしかしたら「ラッキー」の定義を絞りすぎているだけで、日常って実はラッキーだらけなのかもしれない。

  • 今朝、好きな曲がちょうど流れていた
  • 乗ろうとしたエレベーターがちょうど開いた
  • 信号が、全部青だった

そういうことを「ラッキー」と呼ぶかどうかは、その人の感度の問題だ。

感度を上げれば上げるほど、世界のラッキー密度は高まる。


おわりに:ラッキーは「発見」するもの

「運がいい人」と「運が悪い人」の差は、実は「ラッキーに気づく力」の差だという話を何かで読んだことがある。

同じ出来事が起きても、それを「ラッキーだった」と受け取るか「まあ普通」と流すかで、積み上がっていく幸福量が変わってくる。

今日も、きっとどこかでラッキーは起きている。

傘を忘れた日に雨が降らなかったり、レジでモタモタせずに済んだり、行列のない人気店に入れたり。

そういう小さな幸運を、ちゃんと「ラッキーだった!」と声に出して(あるいは書き留めて)おくことが、案外、人生の満足度を底上げするんじゃないかと思う今日このごろです。